小野光賢・光景とは?

小野光賢
 小野光賢は文政元年(1818年)信州小野の郷に生まれる。
 安政6年(1859年)に横浜に出て、貿易を営み幕末維新の立役者勝海舟、山岡鉄舟、高橋泥舟らとも親交を重ねた。
 横浜草創期に尽力し、町名主、横浜の副市長を務めた。町名主時代に記録した「横浜町会所日記」は当時の横浜町政を知る貴重な資料とされている。
 明治初年の飢饉の際にはお救小屋で発病した感染病の患者にも親しく見舞い・薬餌を与え歩いて市民の感謝の的となる。
 明治5年(1872年)時の県令陸奥宗光に退役願を提出。再起を促されるが職を辞し帰郷。この時その功績に対し金30両が与えられた。 帰郷した光賢は光賢庵で悠々自適の隠遁生活を送り。明治33年(1900年)82歳で生涯を閉じた。

小野光景
  小野光景は弘化2年(1845年)小野光賢の長男とし小野の郷に生まれる。
 慶応2年国内の政治混乱に「男子時至れり」と横浜に出て父の仕事を手伝う。明治5年(1872年)に父の後を継ぎ、本町13ヶ町の戸長、第1大区議長を手始めに種々の公職を手掛け、また明治15年(1882年)には福沢諭吉に諮って横浜商法学校(現市立横浜商業高校)を創立した。
 その他横浜商法会議所会頭、横浜正金銀行(現三菱東京UFJ銀行)頭取をつとめ、横浜の近代都市経営に大きな足跡を残し、明治43年には勅任の貴族議員にも列せられた。。
 また、郷里小野村に対しても小野駅の開設をはじめ、学校・図書館・病院建設に私財を投じて貢献した。
 大正8年(1919年)75才にて波瀾万丈の生涯を閉じた。



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