小野御柱の歴史(矢彦神社)
矢彦神社の御柱祭は「憑の里」における最大の祭典、昔から「人を見るなら(見たけりゃ)諏訪御柱」
「綺羅を見るなら(見たけりゃ)小野御柱」と言われ、小野御柱は諏訪御柱の翌年、卯年と酉年に行われている。
矢彦神社の御柱の起源は、社殿立替の代わりに神社の四隅に建てる神域を示す標識として、柱を立てる、の説がある。
矢彦神社の御柱の由来は白鳳2年揆酉(673年)正遷宮祭と御柱祭が卯・酉年7年毎の式年祭に定められた。
今から1300年以上前の事である。寿永元年(1182年)木曽義仲は平氏追悼の戦勝祈願を矢彦神社に行い勝利し、
そのお礼材を木曽の山林から切り出し、社殿を造営した。以来、式年遷宮材が木曽の山より伐出される事となる。
以後、鎌倉〜室町幕府、織田、豊臣、徳川幕府の慶応3年まで700年間この先例は続けられた。
その後、明治政府になり、木曽の山林が御用林となったが、この御用林から造営材がご下賜いただいた。
その後昭和38年より備林の用材不足のため式年ごとの造営が中止となった。
御柱の歴史に関する記述は地元の郷土史研究家「小澤和延先生」の資料から転記させて頂きました。
また、利用写真は飯沼地区の御柱実行委員会より提供して頂きました。大変ありがとうございました!!
憑の里便りスタッフ 赤 羽
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